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東京シルク物語

東京に養蚕をしている農家があるのを知っていますか?
日本の絹の99%は外国の糸でできているのを知っていますか?
それより繭を蚕がつくるところ見たことありますか?
今年限りで国からの養蚕の助成金が無くなること、なんと9割も、知ってました?
なんとか東京のシルクを残していきたいと願っている人たちの物語です。
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第7回東京シルク展シンポジウム(3)
司会
多摩シルクライフ21研究会会員 岡本昇子
只今より、「蚕糸・絹文化シンポジウム」"今だからこそ伝えよう蚕糸絹の文化を”を開催致します。
 先ず、主催者多摩シルクライフ21研究を代表し、小此木より、開会のことばをお願いいたします。(拍 手)
◆開会のことば
多摩シルクライフ21研究会代表 小此木エツ子
多摩シルクライフ21研究会の小此木でこざいます。多摩シルクライフ21研究会のことにつきましては、概要をお手元の資料に書かせて頂きましたが、お蔭をもちまして、当研究会は、今年で14周年を迎えることが出来ました。皆様の暖かい熱いご支援、ご協力に支えられて、今まで、つつがなく、活発な活動を続けさせて頂きましたが、感謝の気持ちでいっぱいでございます。本当にありがとうございました。また、本日は当成城ホールに、多方面から沢山のお客様にお出かけを頂き、本当にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

 さて、私ども多摩シルクライフ21研究会は、風土に根ざした蚕糸・絹業と言うことで活動を続けておりますが、その成果を2年に1回、「東京の繭から生まれた東京シルク」と言うキャッチフレーズをもって、「東京シルク展」という名の展示会を開催して参りました。
今年の東京シルク展は第7回目に当たりますが、この度の東京シルク展の特別企画として、"今だからこそ伝えよう蚕糸・絹の文化を"をテーマとする「蚕糸・絹文化シンポジウム」を財団法人大日本蚕糸会との共催で開かせて頂くことになりました。もうすでに東京シルク展会場の千歳屋さんで、見学をなさっていらっしゃった方も多々おありかと存じますが、東哀シルク展はいかがでしたでしょうか。いろいろ展示致しましたが、私の右にありますのは、東京シルクで製作したウェディングドレス布地です。[注上の写真をご参照下さい]

 「日本の文化の危機」と言われて、久しい昨今ですが、日本の文化の危機ではなく、私は蚕糸・絹業が、歴史上、かってない転換期に差し掛かっていると思うのでございます。そこで蚕糸・絹文化を継承する上で、何がどう変わりつつあるのか、また、どう変わって行かなければならないのか、皆様と共々に考えるために、本日、『シンポジウム”今だからこそ伝えよう蚕糸・絹の文化を”』を
開催し、伝統を背負い、未来を目指して、着実に一歩一歩と歩んでいらっしゃる7名の講師の先生方をお招きして、お話を伺うことにしました。
途中10分間休憩をはさんで、講師の先生方に、お一人約15分、お話しをして頂く予定でございます。それが終わりましたら、3時半頃より、総合討論に入らせて頂きます。
その時はご来場の皆々様から貴重なご意見やご質問を沢山承りたいと思っておりますので、どう
ぞ宜しくお願い致します。私と致しましては、このシンポジウムを、「蚕糸・絹文化」を皆々様と共々に考える集いとし、意義あるひとときをお過ごし頂ければと願っております。何とぞ宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

司会
次に、財団法人大日本蚕糸会常務理事 草野洋一様にご挨拶をお願い致します。
先生、宜しくお願い致します。(拍手)

財団法人大日本蚕糸会 草野洋一様ご挨拶
 只今、ご紹介を頂きました大日本蚕糸会の草野でございます。本日は、シンポジウムにご参加頂きまして、ありがとうございます。多摩シルクライフ21研究会と大日本蚕糸会の共催のシンポジウムということですが、私たち財団がこのシンポジウムの企画等に直接寄与する機会は少のうございまして、ほとんどを多摩シルクライフ21研究会が進めて来ました。小此木先生から、挨拶ぐらいはしなさいと言うことでしたので、この度ご挨拶をすることになりました。
 シンポジウム開催の趣旨については、只今そのほとんどを小此木先生がお話しされました。先生からは、せっかくの機会だから20分ぐらい、最近の蚕糸・絹業の状況と、今、小此木先生が触れましたが、大日本蚕糸会が去年の2月からいろいろ取り組んでいる、或いは、これから取り組もうとしている内容について、少しお話をしたいと思います。
 そのために今日、皆さまに資料をお渡ししておりますが、その前に大日本蚕糸会をご存じでない方もいらっしゃると思いますので、大日本蚕糸会について少しご案内致します。
 大日本蚕糸会はずいぶん古く、1892年に、法人として出来ました。主にこれまでは、蚕の種、蚕品種の開発とか、繭や生糸の研究をすることが一つの大きな業務でした。蚕品種の関係は、つくばの阿見町に蚕業技術研究所と言う研究所を持っておりまして、品種の関係で皆さまとお付き合いがあるところもあると思います。
 それから、新宿区の百人町にある蚕糸科学研究所で、繭とか生糸の関係、それから撚糸なり織
物や精練の研究をしております。そういう研究をするのが大きな仕事の一つです。

このほか、表彰や研究助成等の業務を行なって来ましたが、蚕糸業がだんだん縮小しまして、いろいろと対応する行政、その他の組織が小さくなって来ましたので、大日本蚕糸会がいろいろこのほかの業務をお引き受けするようになりました。
 これまでは、業界へ直接支援する仕事はあまり多くなかったのですが、数年前からそういうことにも積極的に取り組んで行こうということで、このようなシンポジウムの支援、あるいは製糸業、養蚕、染織の関係についても、いろいろ支援をするような事業を進めております。
これからお話しします事業につきましても、昨年2月から大々的に取り組むことに致しまして、大日本蚕糸会の中に、蚕糸・絹業提携システムの支援センターをつくりまして活動しています。
 
 宣伝はそのくらいに致しまして、折角の機会ですので、小此木先生が20分ほど話せと言うことでしたが、お話だけではお分かりにくいと思いまして、お手許の資料を準備しました。
            <研究会[注]報告書末尾にその資料を添付してございます>
これだけの内容ですので、あまり詳しくお話しできませんが、見られていろいろありましたら、後日でもご連絡を頂ければ、ご質問にも答えたいと思っております。
 最初のページの「養蚕業の現状」のところにありますが、現在、日本の繭の生産量は380トンぐらいです。次のページに、ピーク時と言うのがありますが、昭和5年には40万トン、戦後の一番多いところで、lO万トンありましたから、今では本当にわずかになったということです。
 
 特に問題なのは、真ん中に農家の年齢別比率がありますが、養蚕にたずさわる人の半分近くが
70歳代です。繭を生産している一番大きな県が群馬県で、5割近く生産していると思いますが、2〜3年前で、70歳になったと聞いています。今、新規養蚕農家はほとんどありませんので、毎年確実に1歳くらいずつ年齢が増えて行きますから、平均年齢が71〜72歳ぐらいになっていると思います。
 これは養蚕だけのことではなく、たしか稲作農家が65歳ぐらいです。蚕糸業は常に日本農業全体の5年先を行っていると言われています。高齢化もそうですが、いろいろな制度をつくるのも、制度がなくなるのも、いろいろな意味で、日本の農業の5年先を行っていると言われていますが、高年齢化も同じように、5歳くらい先を進んでいるということです。また、これからお話しします、いわゆる純国産のものづくりの取組も、恐らくこれから、他の農業もそういう取組がきっと行われるだろうと思います。
 
 1ページの一番右側に手書きで書いておきました。口で言うとなかなか分かりづらいと思いますので、手書きしたのですが、去年の3月までは、繭代の9割ぐらいは国が補助していました。保証基準価格となる繭1キロ当たり1518円のうち、1418円を補助していました。これは輸入の生糸とか、国庫が財源になっていました。それに品質の加算がありますので、国産の繭のここ数年間の平均価格は、1キロ1800円ぐらいです。
 この繭を1キロ生産するために、1時間半から2時間近くかかっています。これで割算しますと、所得率を60%くらいとすると、時間あたり700円ぐらいの所得です。これは家族全員で働いてです。しかも、この数字は、大体1トンぐらいつくる農家の水準です。
 繭を1トンつくるというのは相当大きな農家です。この農家が1トンつくるには、年5回ぐらい蚕を飼うことになります。ですから、3月から10月終わりぐらいまで、桑取り、養蚕、上簇、収繭と、毎日、大変な仕事をします。それは一人ではなくて、家族全員になります。
 家族全員で働いて、ここにありますように、1キロ1800円という繭の価格は、労働時間で割ると、家族全員で700円ぐらいです。東京の高校生のアルバイトは今800円ぐらい貰っていますから、家族全員で働いて、それより低い額になります。
 そんなこともあって、農家は、養蚕をどんどんやめて行きます。高絞生のアルバイトー人よりも安いわけですから、農家も後継者に養蚕をやれという話は出来ません。このようなこともあって、養蚕はどんどんなくなって行きました。
 その辺の推移が2ページ目にありますので、あとで見ておいて頂ければと思います。この20年で、50分の1ぐらいになっているということです。これは今言ったようなことからですが、原料がなくなりますから、製糸会社も数社しか残っておりませんし、蚕糸業全体が縮小しまっています。
 この背景はどういうことかと言うと、3ページ目をご覧下さい。もともとはカラーの資料ですが、カラーコピーは高いものですから白黒になっています。
 昭和55年から平成19年までのそれぞれの絹の需給を生糸換算したものが入っています。昭和55年ぐらいは、国産繭のウエイトが、ここにありますように5割以上ありました。これがどんどん低くなって、平成19年は、棒グラフの上ではほとんど幅にもならない。0.8%ぐらいです。原糸レベルで4〜5%ですが、これはこういうことです。
 日本の養蚕がだんだん縮小してきた過程で、かつては、中国とかブラジルの生糸の品質がまだそんなによくありませんでしたので、経糸にはやはり日本の生糸が必要でした。主に中国から繭を輸入して、日本で生糸をつくっていましたが、もちろん中国やブラジルの技術は進歩します。
蚕の品種も、中国では新しい品種が開発されますし、中国からある程度いい生糸が入るようになりました。したがって機屋さんにとってみれば、高い国産の生糸よりも安い中国の生糸がいいわけです。
 ただ、当時はいろいろな法律による規制、一元輸入とか、いろいろな生糸の輪入規制の仕組みがありましたから、自由には輸入出来なかったのですが、輸入の生糸にどんどん置き換わって行きました。そうしますと、養蚕農家の次には、製糸業がどんどん縮小して行くことになります。
 機屋さんは安い生糸があればいいということではあったのですが、そんなことにはならないことは皆さんも、ある程度、ご存じだったと思います。中国は技術を獲得して、織物で輸出します。生糸、撚糸で輸出するよりも、織物で輸出した方が付加価値が付くのでいいわけです。そうすると、今度は白生地で入ってきますので、白生地の機屋さんは活動の幅が狭くなって、機屋さんもどんどん少なくなって行くというのがこれまでの現象です。
 機屋さんは生糸さえ手に入ればと言いましたが、今は白生地でも入るわけです。ところが、着物のメーカーは、かつては白生地が入ればいいと言っていたんですが、次は、当然ながら二次製品で入ります。ですから今度は、いわゆる着物のメーカーさんも、染め屋さんも同じような状況になります。こんなことで日本の蚕糸・絹業全体がどんどん縮小しました。
今日は「蚕糸・絹文化シンポジウム」となっていますが、今まで川上の繭、生糸をつくるところと、それを使う機屋さんとは、買う生糸の値段で対立がありますので、必ずしも友好的でない面がありました。しかし同じような状況に直面しているわけで、この際、一緒になってものづくりをして行かなければ、共に残って行けないという状況になっているわけです。
 数字的なことを言いますと、今、輪入の生糸がキロ3000円〜4000円です。いいものは4000円ぐらいします。そこで、キロ1800円もする日本の繭からひいた生糸ではという話になりますが、分かりやすく繭代を2000円とした場合に、生糸1キロつくるのに、繭は5.5キロ必要ですから、原料代だけで1万1000円ぐらいはかかる計算になります。 生糸加工費用の方も、製糸業の方が生産性を向上させて、いろいろ頑張っても4000〜5000円はかかりますので、1キロ1万5000〜6000円の生糸になります。
 要するに4000円の外国生糸と1万5000〜6000円の国産生糸の差は大きく、輸入の生糸の品質も大変良くなっていますから、一時のように日本の生糸でなければ駄目だという時代ではなくなりましたので、同じ土俵で競争するということになりますと、当然、キロ3000円〜4000円の生糸と、1万5000〜6000円の生糸との競争ですから、同じ土俵では競争出来ませんし、3000円、4000円の生糸で、ということは、繭代にすると、キロ300円ぐらいの世界ですから、繭代の補助がなければ、日本は養蚕をやめるしかありません。
 今まで申し上げたことを体系的に整理しますと、繭代は二千数百円でないと養蚕はやって行けません。先程言った計算であったように、家族全員で時給700円ではとても生活出来ません。それで、仮りに二千数百円の繭代ということになりますと、今、申しましたように、普通の生糸で、生糸代は1万5000円とか、2万円になります。
 一方、輸入生糸の方は3000円とか、4000円です。今、中国も、江蘇省とか浙江省では賃金が上がって、4000円ではとてもやって行けない、赤字輪出という話もありますが、現実問題としては3000円、4000円で輸入されています。ですから、4倍も5倍もする国産の生糸を使って、消費者に買って頂けるようなものづくりを、蚕糸・絹業界が一緒になってやるしかありません。機屋さんもそういう面があると思います。
 これからの方向は、3ページにあります原糸、機屋さんが使う生糸で、国産は4%ぐらいですし、更に今申しましたように、生糸だけではなく、生地とか、製品のように製品輸入もありますから、繭から国産のものは1%を切って0.8%ぐらい、たったそれだけの量なんですが、消費するには簡単ではなく、繰り返しになりますが、輸入生糸の4倍も5倍もするような生糸を使っても、消費者にそのような国内事情を分かって貰い、そして、消費者に買って頂けるようなものづくりをするところが一緒になって、すなわち、蚕種をつくる方にはじまり、養蚕をする方、繭を糸にする方、織物にする方、染色をする方、それに、流通関孫、小売り、卸などにたずさわる方、皆んながそういう考えのともで取り組まなければ、国産のものはなくなって行くことになります。
 このままでは日本の養蚕は確実にあと5、6年、あるいは10年ぐらいでなくなるということです。今養蚕農家の方は70何歳ですから、80歳を過ぎて、養蚕をやるのでは農家は大変です。ですから、何とかしなければいけないということで、国がいろいろ考えて、そこで出来たのが、皆さん、テレビなどで、高島屋の「誰が袖好み」とか、京都の千總の取組とか、いろいろ見られたと思いますが、一万数千円の生糸を使って、織って、染めて、消費者にこういう製品につくり上げたんだと、すなわち、どういう品種で、どこでつくった繭で、どこで生糸をつくって、どういう織り方、染め方をした製品であるということを、消費者によく理解して貰えるような情報を提供して、そういう消費者とつくり手とが互いに理解し合うこと、つくり手と言っても、まさに農業から、いわゆる機屋さんの工業から、小売りの商業まで含めた人たちが、それぞれ連携し合って、消費者にそのような日本の製品づくりを理解して貰うというやり方です。
 そういうことで、これからは、一万数千円の生糸を使っても、消費者が買って下さるようなものづくりをして行こうではないか、と言うことになりました。
そのような試みが次の4ページです。ちょっと分かりづらい図ですが、あと5分ぐらいしか持ち時間がないので走ります。実は、うるう年の去年の2月29日に大日本蚕糸会の中に蚕糸・絹業提携支援センターが出来まして、国から基金が来ました。去年、今年、来年と、平成で言えば、平成20年、21年、22年の3年間で、そういうグループをつくって行こう、今申しましたような一万数千円の生糸を使ったやゝ高額なものでも、消費者から純国産の絹製品に対するご理解を頂いて、買って貰えるようなものづくりをするグループをつくって行こうということです。
それには、今までずっと言って来ましたように、価格では競争出来ませんので、養蚕農家から、製糸、染織、問屋、出来れば小売業の皆さんにまで加わって頂いて、同じコンセプトでものづくりをして行く、その中で、それぞれが再生産出来るような配分をして行く仕組みをつくって行こうではないか、ということです。
 養蚕農家には、先程言いました二千数百円の繭代、そうしますと、この生糸は、加工賃を入れると、一万数千円、蚕品種選びや製糸等、仕方によっては2万円に、ものによっては2万円以上になると思いますが、そういう生糸を使って、今度は織って行く、染めて行く、そして適正なマージンを取って、流通させる。当然リスクがありますので、特に、川下である流通業界ではそういうリスクも背負って品物を売って行かなければなりませんので、それぞれが、皆やって行けるような仕組みをっくろうということが、この提携システム事業なのです。
 そのグループを、去年、今年、そして来年と、平成22年度まで行う。そのためには、そういう活動をして頂ける方に、コーディネーターになって頂いて、いろいろと支援する。そのようなグループをつくって行くのが、資料4ページ左側に示したこの3年間の事業です。
そのグループが、長期間、十分安定してやって行けるだろうということになれば、平成23年度からですが、第三者の委員会が、そういうグループを承認して、それからの3年間、一定の交付金をそのグループに交付します。
 その交付金は、繭代に使ったり、商品開発、あるいは販売促進、幅広く使ってもいいということになっていますが、3年間交付金を受ける間に、3年後には交付金がなくても、今申しましたような2万円近い生糸を使う、すなわち、養蚕農家に二千数百円の繭代が払えるようなものづくりをするグループとして飛び立って頂く、それが今度の事業の趣旨なのです。現在、大日本蚕糸会では、今申しました前半の3年間の活動を一生懸命やっております。そういうグループづくりを、今、一生懸命支援しているところです。
 早く準備が出来たところ、既にそう言う活動をしているところがあり、九つ程、そう言うグループが平成21年度を待たず、既にスタートしております。これはまたあとで述べます。
農家への繭代の助成については、制度としては平成19年度すなわち去年の3月でなくなりました。しかし、昨年度、今年度、来年度は経過措置として、この事業の中で、今まで通り、農家には、繭代の助成が出ております。ただし、これは来年度までです。したがって、養蚕農家の皆さんが、このグループの中に入り、このグループの一員として、繭づくりをして行かなければならなくなります。先程言いましたように、9割、すなわち1800円のうちの1600円が補助金だったわけですから、200円ぐらいでは、とても養蚕はやって行けません。ということで、これからも頑張ってやって行く養蚕農家の方たちが乗る船、すなわちグループづくりを、今、大日本蚕糸会は一生懸命しているところです。
私たちとしては、養蚕を続けたい農家が全部船に乗れようにと、咋今、経済情勢が大変厳しい中ですが、今、一生懸命グループをしているところです。
また、資料の9ページに載せましたが、日本絹業協会に「純国産絹マーク」なるマークをつくって貰いました。 蚕の品種から、どこで繭が取れて、どこで織ったなどという、純国産品であることを示す履歴が全部明らかにされた絹製品に限り、純国産品であることを示すマーク、すなわち「純国産絹マーク」を添付して頂くことで、消費者を含めた皆さんにきちんとした情報を提供し、その上で、そういうものづくり、絹づくりを理解して頂いて、買って頂く仕組みを進めているところです。
4ページ、5ページは、そのようなことを説明している資料です。6ページが今申しました「純国産絹マーク」です。経費節減のため、白黒印刷になってしまいましたが、上の黒い部分は、実際は赤色です。また資料はあとでゆっくりご覧頂きたいと思いますが、既に80社ぐらいが、「純国産絹マーク」を取得して、出来上がった製品に付けて販売活動を行なっています。
 それから7ページは、こういう活動に対して、これまで、一般紙にはほとんど取り上げて貰ったことはないのですが、去年8月13日付の朝日新聞の社説です。天下の朝日新聞の社説に載るような事態になっています。国産絹がなくなってしまう事態がいよいよ迫っていることを知って、「頑張れ」と言って呉れた記事です。この社説は、要するに、自分たちがやれるような仕組みづくりを、みんなして頑張って行くしかないのではないか、というような内容ですが、この他、読売新聞その他にも、最近いろいろなところに関係記事が載っていました。つい一咋日も、NHKのBSハイビジョンで、福島県伊達地方で行なっている繭から真綿づくりをしている放映が30分程ありましたが、そう言った記事や報道がだんだん多くなって来たように感じます。
 持ち時間が過ぎましたが、ここに来られた皆様方が、いろいろお使いになっている特殊な品種の生産状況がどうなっているか、という資料を一番最後に入れて置きました。こんなことで、今申しまたような取組を大日本蚕糸会はしております。蚕糸・絹業の現状や、今後はどうなって行くか、今、私たちは何をやればいいのか、ということをお話し申し上げました。
 限られた短い時間なので、全てをご理解頂くのはなかなか難しいと思いますが、大日本蚕糸会のホームページ、それから、提携支援センターのホームページにも詳しく載せております。Q&Aで詳しくいろいろなことも書いてありますし、電話やメールで閤い合わせて頂けば、いつでも、いろいろなお話が出来ます。JR有楽町駅日比谷口より、皇居方向に歩いて2、3分のところに、大日本蚕糸会のある蚕糸会館ビルがありますので、来て頂ければ、コーヒーぐらいは出します。インスタントではなくて、きちんとしたコーヒーです。お茶がいい方にはお茶もお入れしますので、遠慮なく来て頂いて、皆さん方のいろいろなご相議にのりたいと思っています。
挨拶ということでしたが、仕事のPRに終始してしまって恐縮です。今日お集まりの皆様は、このような活動に、大変なご興味をお持ち方で、熱意のあるお方と思っておりますので、是非とも、ご理解を宜しくお願い致します。ちょっと時間をオーバーしてしまいました。(拍手)

司会
草野先生、ご挨拶、ありがとうございました。
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