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東京シルク物語

東京に養蚕をしている農家があるのを知っていますか?
日本の絹の99%は外国の糸でできているのを知っていますか?
それより繭を蚕がつくるところ見たことありますか?
今年限りで国からの養蚕の助成金が無くなること、なんと9割も、知ってました?
なんとか東京のシルクを残していきたいと願っている人たちの物語です。
繭掻きしました。
20121004191216.jpg繭をまぶしから取り出しました。繭掻きといいます。今年はよい桑の葉をたくさん食べたので大きくてしっかりした繭になりました。
| 純国産シルク | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
繭は明日から店頭に出します
20120929005618.jpgあと2日位で全て完成します。

20120929010431.jpg
藁まぶしは玉繭が出来やすいと聞いてましたがすでに何個も作ってます!普通は1、2パーセント位
| 純国産シルク | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
繭を作ってます!
20120929004537.jpg例年の事ながら神秘的でエネルギッシュです。
| 純国産シルク | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
ただいま蚕の飼育中!
20120922150130.jpg今年も悟られないうちに蚕の飼育をやってます。苦手な方もおいでですので。あと1週間位で繭をつくります。
| 純国産シルク | 15:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
小谷田さんの奥さん
20120912130041.jpgこの道半世紀。よいお顔してます。
| 純国産シルク | 16:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
蚕をもらいました。
20120912130008.jpg八王子の小谷田さんから蚕をもらいました。3齢になったばかり。2センチ位さていい繭を作ってくれるかな。
| 純国産シルク | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
群馬県碓氷製糸訪問
東京シルクの件で、多摩シルクライフ21研究会の小此木先生はじめ境さん、新井さんにお供してはじめて、群馬県の碓氷製糸へ見学してきました。

製糸工場としては、機械製糸を現在しているところは2社しか残っていません。もう一社は山形の松岡製糸、長野の宮坂製糸は手作業で特殊な糸を作っています。すなわちここが日本最大の製糸工場ということになります。


豊田の駅前で集合し、新井さんの運転で圏央道から関越道経由で片道2時間半かかりました。往復運転誠におつかれさまでした。次回は私が。

すこし早く着いたので、先におぎのやの釜飯をおみやげに買いにゆき、これまた新井さんがネットで予約していたおいしいお蕎麦屋さんでお昼をいただきました。伺うとなんと本業が測量士さんで、予約がはいると蕎麦を打つのだとか。ただお店もお味も完全にプロで、蕎麦も十割そばで水がおいしいのでしょう、たいへんおいしくしかもお安い!なんとお昼のセットが1000円。しかもデザート付!




当日は平日ということもあり、われわれ1組でしたが、季節のお花がやきものに飾られ、こじんまりと落ち着いたすてきなお店でした。おまけに店主の弟さんが新井さんと日野市のボランティア活動で一緒で、よくご存知の方だと食事のあとでわかり、さらにびっくり!まったく偶然というか、ご縁があるものです。また伺いたくなりました。

さてその後、いよいよ碓氷製糸へお伺いしました。初めてお会いした高村組合長さんは大変親しみのあるかたで、私のようなよく分からないものにも懇切丁寧に応対していただきました。もちろんこれは全て小此木先生との長年のお付き合いのおかげですね。



今回の提携システムについて、いろいろ伺ったあと、東京シルクの特徴であり「生繰り製糸」について伺いました。現在この製法で糸を採っているところは多摩シルクだけとのこと!すなわち日本で唯一、世界で唯一!ということ。東京でできた繭を3日以内に糸にしているそうで、本当に「生」のままで丁寧に時間をかけて糸にしている。この技術をもっている人がいるから、こういうことができることを忘れてはならない。



ここ碓氷製糸は全国でもっとも大量の製糸をしているため、全国から繭が集められます。


この一覧表に各産地農協の品質などの評価が書き込まれ、繭の値段が決まるそうです。





繭はバックライトの台の上に広げられ全量調査されます。光を通してみると中の蚕がつぶれているかどうかわかるのです。












| 純国産シルク | 04:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
第7回東京シルク展シンポジウム(4)
司会
それではシンポジウムに移らせて頂きます。
座長の小此木代表 宜しくお願いします。
座長
それでは、先ず最初に八王子の養蚕農家の小谷田昌弘様に「蚕を飼う」というテーマのお話をして頂きます。その前に、小谷田様のプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。小谷田様は大正時代の初期から始めた養蚕農家で、その後、共同稚蚕飼育をも手がけた厳父のあとを受け継いで、現在は青熟交配種、これは蚕品趣の名前です。それから四川三眠交配種、小石丸など、飼育の難しいと言われる品種の飼育を、稚蚕飼育から全齢桑による養蚕を手がけて、毎年すぐれた繭を作出されておられます。この度は、稚蚕飼育、特殊品種の飼育の専門家として、そのご苦労と成果を、場合により、当研究会の養蚕グループの皆さんをアシスタントとして、さまぎまな角度からお話して頂きます。小谷田さん、よろしくお願い致します。(拍手)

◆養蚕農家 小谷田昌弘氏講演
只今ご紹介を頂きました八王子に住んでおります小谷田と申します。先生からご紹介がありましたが、私、特別に養蚕、いわゆる蚕の勉強をしたわけではありません。おやじがやっている背中を見て、それを自分のものにしたと言うだけのことなんですが、今のところ、先生方を中心に、いろいろ知識を頂きながら、ご紹介にございましたお話のように、特殊品種に力を入れてやっていると言うことで、養蚕家と言うよりは、養蚕をやっているというだけのことです。今日はこのような盛大な中で、初めての体験です。うまくお話が出来るかどうか、すでに上がって、心臓がぽこぽこしていますが、宜しくお願いしたいと思います。
(スライド)




これは大正の初期に建てた養蚕室です。すでに南側の風が強く当たる雨戸は、紙のようにぼろぼろになっておりまして、ついこの間18号台風の時もどうしようかと心配しながら、今のところ、何とかこれを使ってやっています。
ご案内のように、外側はぼろぼろになっております。子供たちから、これを何とかしなければしようがないだろうと言われているのですが、養蚕のために新築するとなると、大枚2000万円ぐらいはかかるという貝積もりを貰っています。しかし、今のところ、これを新しくするという気持ちはありません。この写真は、生まれて初めての蚕に、桑をやっているところです。
(スライド)



これは3齢時の写真です。3回目の脱皮のあとに、桑をやる場面です。ご覧のように、すぐ隣にマンションみたいなものが建っていますが、その片隅で桑を取っているところです。





これは壮蚕、いわゆる4齢期、4回目の脱皮が終わった頃の写真で、スーパー飼育台と言っている飼育台で、いわゆる条桑育と言いまして、条の桑、すなわち、枝のままの桑を与えますと、蚕がやって来るという状況を写した写真です。



奥の方に見える三人の方は、皆さん、町に住んでいる方で、応援に来て下さったので、その皆さんと一緒に撮って貰った写真です。
(スライド)


これは恐らく、お昼頃の給桑だと思います。桑を食べて、蚕がみんな桑の来るのを待っていると思われる写真です。
(スライド)



これが上簇(じょうぞく)の風景です。一部では既に繭が出来つつありますが、これは早口繭です。左側は熟蚕を拾って、まぶしの中に入れて、まぶしの一棟一棟、自分の好む部屋に入り終わったところで、まぶしを天井に吊した状況です。



これは繭をつくり終わって、いよいよ機械にかけて繭を集めようと言う作業の前段階で、肉眼で悪い繭を選び出し、除外している状況の写真です。



これは、いよいよ収繭が終わって、皆さん方で出荷しようという時の写真です。それぞれが満面の笑みを浮かべている姿が写っています。下の、竹で編んだかごは、俗に「えびら」と言っていますが、小さいうちは「えびら」に乗せて飼育しております。
[注]
ここまで、小谷田様のお話が進みましたところ、操作の手違いで、小谷田様宅の蚕室で飼育した特殊品種「四川三眠」生糸で制作された作品の写真(次ページ参照)が、大スクリーンに映し出され、座長が、写真の説明を始めてしまったために、小谷田様のお話が途中で終わってしまいました。



座長 小谷田さん、僭越ですが、作品については、私から説明させて頂きます。これは特殊品種「四川三眠交配種」の繭によってつくられた「しじら織り」の着物です。作者は多摩シルクライフ21研究会会員の石月まり子さんで、伝統工芸新作展で2年にわたって同じ種類の着物が東京都教育委員会賞を受賞しております。



これは同じく小谷田さんのところで飼育して下さった繭でつくられた特殊品種「青熟交配種」生糸でつくり上げた組み紐を使ってつくられた復元甲冑と、その原型(写真省略)の甲冑です。復元甲冑の作者は甲冑師の西岡文夫先生で、このうち組み紐部分を先生の妻であり、当研究会の会員である西岡千鶴さんが担当しております。原型甲冑は武田信玄が用いていたと言われる武田家に伝わる国宝の「小樫韋威鎧(こ ざくら かわおどしよろい)」で現在、山梨県塩山市の菅田(かんだ)天神社に納められています。復元甲冑が、西岡文夫先生の手によって、先般復元された「小櫻韋威鎧」で、現在、山梨県立博物館に展示されております。



甲府に行かれた時には、隣町、笛吹市御坂町の山梨県立博物館に出向かれ、どうぞご覧になって下さいませ。この他にも、小谷田さんの蚕室で飼育された特殊品種生糸でつくられたさまざまな作品があり、たとえば、古代裂とか、佐賀錦などにも織り上げられて、いろいろな作品として、つくられております。以上です。(拍手)

座長
それでは、次の講演に移らせて頂きます。
宮坂照彦様には「糸を繰る技」と言うテーマのお話をして頂きますが、その前にプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。宮坂様は岡谷市の株式会社宮坂製糸所の社長でいらっしゃいます。宮坂製糸所は創業昭和3年、歴史のある製糸所で、座繰繰糸など古い形の繰糸技術を現在も行っている、今ではわが国でも貴重な製糸工場であり、宮坂様はその技術にこだわりつつ、今なお技術の継承に力を注いでおられます。近年、絹製品の多様化が進み、求められる糸も種々多様ですが、宮坂様はさまざまな繰糸機を用いて多種類の糸づくりに挑戦し、需要者の希望に応えておられます。この度は、古来の有益な生産技術を持つ製糸工場の代表として、糸づくりの技を様々な角度からお話しして頂きます。よろしくお願いします。

◆株式会社宮坂製糸所杜長 宮坂照彦氏講演
只今、ご紹介頂きました宮坂です。どうぞよろしくお願いします。(拍手) 今日は長野県岡谷から参りました。岡谷と言いますと、かつては日本の製糸業の中心地として非常にに隆盛を極めたのですが、今はまったく様変わりしまして、製糸、糸づくりをしているのは私のところが細々とやっているだけになってしまいました。
 
 先ず最初にこういうことを申し上げ、誠に申しわけないのですが、先程、草野様から養蚕農家は時給700円だと言うお話がありました。製糸は700円とまで行きまぜんので、非常に困っております。なぜかというと、先に原価を申し上げることは失礼ですが、繭は先ほど1キロ2000円というお話が出ました。その1割を製糸が負担して、9割は補助金で賄われているということです。ところが製糸の200円は繭の購入費で、それにかかわる運賃、乾燥というものは入っていません。そういう諸掛かりを入れますと、大体、1キロ400円ぐらいになります。1キログラムの繭をつくるためには5キロの繭が要ります。そうしますと、1キロの糸をつくるのに原料代が2000円かかります。

それに対して、生糸の値段は、先程お話がありましたように、3000円〜4000円ですから、工賃が1000円か2000円ということになります。ところが、1000円、2000円ではとても生糸は出来ないわけで、4000円とか5000円かかるのが普通です。そうすると、製糸はどうしてやっているのか、という話になります。そこはいろいろな工夫をして、私どもはやっているということです。
 私のところは、只今、小此木先生からご紹介がありましたように、糸づくりの手法をいろいろ工夫しています。明治以来の伝続的な糸づくりをするとか、そういった工夫をしまして、何とかかろうじてやっているということです。
まず最初に、先程の草野様のお話と関連して、製糸の現状をお話し致しました。これは私のところだけではなくて、ほかの製糸工場もみんな同じような状況だと思っております。それから、先程、小谷田さんがお話しされましたが、小谷田さんのところの繭はほとんど私のところで糸にさせて頂いております。
立派な作品が先程映像に出て来ましたが、ああいう作品につくられているということを思いますと、利益は出ないのですが、この仕事に対しては非常に誇りを感じている次第です。それでは私のところの糸づくりを映像で5種類用意しましたので、それを見て頂きながら説明させて頂きます。



 これは伝統的な明治以来の繰糸方法で諏訪式繰糸、或いは座繰りとも申しますが、諏訪式という繰糸方法です。これはヨーロッパ方式でして、ご存じの富岡製糸場の手法にきわめて近い方法です。これを明治7、8年頃から岡谷で取り入れまして、改良というか、日本に合うように、安い費用で工場、施設をつくることが出来るような工夫をしました。しかも糸としては非常に優秀なものが出来るということで、この方法が全国に広がりまして、製糸産業が隆盛を極めたということです。
 
 今ご覧頂くような規模でやっているのですが、この糸を評価して下さる方も非常に多いですし、また、私どもと、岡谷市にある農業生物資源研究所との共同研究で、この糸の性質や、織物にしたときに、この糸がどのような特徴を持つかという研究も致しました。やはり自動繰糸の糸とは大分違っていて、織物が一旦はしわになっても、回復しやすいとか、或いはふっくらした感じの織物が出来るとか、そういう研究報告もありますので、今も続けております。



 これもやはり伝統的な手法で、上州式繰糸、或いは座繰りと申します。これは先程のヨーロッパ方式に対して、日本古来の方式を改良したものでして、ほぼ江戸末期までにこれの原型が出来ております。今ご覧頂いておりますのは、蒸気でお湯を沸かすとか、動力をモーターにするとかいう機能がありますので、江戸末期の作とは多少違いますが、原理的には同じです。主として玉繭を繰糸するように改良されたもので、私のところでは現在は玉糸をつくっております。なお、自動繰糸機は、日産(自動車)設計のもので、私のところでは、最近導入したばかりのものです。多品種、少量の糸づくりに向くように設計されたものです。大量生産型のものが以前はこの場所にあったのですが、それを撤去して、これに入れ替えて、多品種、いろいろな蚕品種に対応しようということです。





次に、大日本蚕糸会と共同で研究して、最近開発した繰糸機をご紹介します。この繰糸機は撹拌繰糸機と呼んでいますが、普通糸取りをする場合は、静かなお湯の中にある繭から糸口を出し、糸を巻き取って行くのですが、これは繭を撹拌しながら、糸取りをします。繭を撹拌すると、糸が絡み合いますので、普通の直線的な糸とはちょっと違った糸が出来ます。また、巻き取り速度を変えるとか、撹拌の仕方を変えますと、節が出来たり、玉のれんのような糸が出来たりもします。今までは、糸取りにコンピューターを使うことはありませんでした。多分、これが世界で初めてだと思いますが、コンピューターで制御しますと、指定した場所に節が出来たり、玉のれんのような塊が出来たりして、大変面白い繰糸機です。この撹昇繰糸機には、コンピューターソフトの問題とか、いろいろありまして、まだ本格的な稼働というわけには行きません。それと、この糸の構造がどういうふうな形をしているかという細かい研究もまだ出来ておりません。これからですが、一つこれを成長させて行きたいと思っております。



これは太繊度低張力糸を繰る繰糸機で、私のところでは、「銀河シルク」と呼んでいますが、普通の生糸はご承知のように、現在は10粒ぐらいの繭を1本の糸にして巻き取っています。しかし、この繰糸機では大体300粒とか400粒の繭を一度に巻き取り、ほぼ1000デニールぐらいの糸をつくります。この糸の使用方法は、帯、或いはニット製品に、現在、試験的に使っ
て頂いております。夏帯に非常にいいという評価も頂いております。普通、300粒とか400粒の繭を口出しして巻き取りますと、非常に大きな張力がかかるのですが、「銀河シルク」を繰るこの太繊度低張力糸繰糸機には糸の風合いを保つ工夫がほどこされていて、巻き取り張カが非常に小さく、低張力で巻き取っているために、風合いのある糸が出来ます。そんな工夫も致しまして、時給700円を維持するように頑張っておりますので、またひとつご声援をお願いしたいと思っております。以上です。(拍手)

座長
ありがとうごぎいました。
それでは、3番目の講師の染織家山口豊様に、「吊・両面錦を織る」というテーマで、お話をお願い致します。
その前に山口様のプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。山口様は撚糸・精練・製織・草木染、多分野にわたる絹業のコーディネーターとして、幅広く連携し、かかわり合って絹織物を製作しておられる京都西陣からおいで下さった方です。
能装束作者で有名な山口安次郎先生の装菓も、ほとんど山口豊様が組み立てて、織るまでにしておられるようです。
その厳父のもとで、特に唐織、両面錦、吊などの製織技術を学ばれ、西陣でも新蚕品種を用いての製品づくりなど、先進的な技で、多くの業績を残しておられます。近年は両面錦織などの製織にかかわり、昨年は、第62回伊勢神宮式年遷宮に当り、月讀宮御料「青瀕瀕綿御衣」(あおこうけちわたのみぞ)の「帛」の製織を、当研究会と合同で、特別品種「青熟交配種」を用いてかかわられており、日本の貴重な伝統織物の製織者のお一人です。この度は、帛と両面錦を中心に、それらの技法についてお話しして頂きます。よろしくお願い致しします。(拍手)

◆京都西陣染織家 山口豊氏講演
こんにちわ。京都から参りました山口です。
多摩シルクライフ21研究会のシンポジウムで、話をして貰いたいということで、今回、こういう場所で話をすることになりましたが、あまり、人前で話をする機会がないので、どういう具合になりますか。 先ず最初、「帛」の方からですが、前回、平成5年の伊勢神宮の式年遷宮のときは、私の父親が製織を担当致しました。埼玉県の方で、長年、私がかかわってきました「いろどり」という笹繭を使って、製織しました。
 
 今回は東京の八王子の「青熟」という品種を、先程からお話し頂いています小谷田さんとか、宮坂さんの手をわずらわせて、私の手もとに21中の生糸として届きました。これを平成17年度と18年度の2回、糸取りをして頂きました。1回目の17年度のときは、いろいろ準備工程の段階で失敗がありまして、納められるような製品にはなりませんでした。2回目のものでようやく5反、1反が鯨尺で約3丈の白生地を5反、去年の10月10日に多摩シルクライフ21研究会の皆様方と伊勢神宮の奉納に参加させて頂きました。
「帛」はどういうところが大変かと言いますと、織物としては、簡単に言えば、ただの平織ですが、前回の式年遷宮のときは、伊勢神宮から指図を頂きまして、サンプルが付いていたんです。サンプルの分解もせずに、指図書に書いてある通りに、父親に仕事をさせたわけですが、二度とかなわんというようなことを言っておりました。今回、私も製織にたずさわってみて、実際、それがよく分かりました。もう一つ、以前の伊勢神宮の式年遷宮のときの「帛」を、終わってからですが、分解してみたところ、撚糸がしてありました。織物を普段やっておられる方はご存じですが、原糸のままで織ることは先ずないと思います。

 何本かを、左とか右とか、撚りをかけて、或いは諸撚りと言いまして、左に撚ったものを2本ないし3本、4本と引きそろえて、今度は右側に撚って、縄目状態にして織るのが普通の織物ですが、「帛」は、引きそろえと言いまして、一切、撚りをかけない。そして、本数的には経糸に12本、緯糸は15本、引きそろえたもので、織って行くわけです。
練緯(ねりぬき)ですと、幅があまり要らないので楽なんですが、生絹(きぎぬ)の場合は、打ち込みがそのままですと、糸が反発して、打込みが出来ません。だから、必ず水に漬ける。それも前日とか、2、3日前から管に巻いて、夏の間は特にですが、冷蔵庫に入れて、糸に水がよく浸透するようにしてから製織にかかります。そして緯幅がすごく狭く、引っ張られて中に入って行くわけです。織り上がったものと、製品になった場合とでは、約4センチほど縮みます。この辺りが「帛」の一番難しいところです。

 それから経糸は、製糸から上がったままの状態で使いますので、玉が出来たり、裂けがありまして、なかなか思うように前に進みません。こういうのが「帛」の難しいところです。織り段は、緯糸を濡らして織りますので、私なりには案外難しくないんですが、幅を取るのと、糸の扱いが非常に大変です。特に糸が細いですから、表面積がとても大きくなります。西陣辺りで使っている「四つ枠」という糸を取る枠がありますが、これが少し取ったところで、みんな割れてしまいます。繭から糸繰りする場合は、大きい枠ですから、つぶれることはありませんが、われわれ西陣で使っている棒は、案外ひ弱な感じで、特にプラスチックの枠でも、糸繰りをしている間にバリッと割れてしまうということを経験しました。「帛」は、糸自体が原糸のままでやるという織物の難しさを、今回しみじみと分かりました。

 口でどうのこうの、というのはなかなか難しいんですが、前々回の場合は、普通、西陣で使っている撚りのかかった糸を2本なり、3本という盛じで、引きそろえて仕事がしてあります。そうすると、精錬したときに、生地の硬さがまったく違います。硬くて、最初に見たときはいい感じなんですが、これを染色しますと、染料の浸透性がまったく変わって来ます。染色の方は、「帛」の場合は正倉院におられる吉松先生が朴(ほう)の木の版木を彫りまして、そういう版木を使って、4色ほどの染料を使って、染色をするわけです。前回のときに吉松先生がおっしゃっていたんですが、「すごく浸透性がいい。これはどういうことですか」、最初に言われたときは分からなかったんですが、結局、撚りをかけた織物と、まったくかけない織物、織るのにも、撚りをかけた場合ですと、普通の素人さんでも簡単に織れると思いますが、その辺が違いではないかと思います。 「帛」は、技術的に言うと、今、言って来たようなことを、一番ポイントに置いてやらなければいけない織物のように思います。

それからもう一つの両面錦は、6年程前に、天皇陛下の旗をやって貰えないかということで、1年程、試行錯誤しまして、平成17年から3年程、やらせて頂きました。今日はサンプルを持ってきております。皆さんは、めったにお目にかかれないし、手に取って見ることはないと思いますので、会場に回しますので、一度見て行って下さい。これは、天皇が海外に行かれるときも、必ず、前もって、大使館に送られるということを聞いております。手に取って見て頂くと、分かると思いますが、幅が20センチ、その中に、21中の2本諸と言う糸が、耳の本数も入れて、7300本あります。こういう織物は、普通、西陣ではやっているところはありません。もともとは住江織物さんがやっておりました。それが龍村さんに渡って、私のところに来ました。今、現在は、また住江さんに戻しました。住江さんの方で、今はやっておられます。これの特徴はどういうことかと言いますと、機存え(はたごしらえ)紋織物なんですが、普通、帯などですと、錦とか、繻子、緞子、繻子織りとか、兼用で機も出来るんですが、これはこれだけ、専用の機をつくらないと出来ません。それと知っている方もおられると思いますが、ジャカードという紋織機は900口、図面に書くとすれば、900の升目が出来る方眼紙に、こういうふうに書くわけですが(山口さんは方眼紙を差し上げて皆きんにお見せになる)、これを900の紋ロを使って、「屏風刺し」という特殊な綜絖(そうこう)をつくります。屏風刺しというのは、紋口は半分の図面でいいわけです。綜絖が左右対称になる。二つになっています。だから右と左が、ここで左右対称になるように織るわけです。
900の紋口ということは、紋ロで言えば、倍の1800の緻密さになって来ます。両面錦は、そういう特殊な織物でして、足でジャカードの開口をするわけです。片方は軽いんですが、片方は倍以上の糸を持ち上げますので、膝に相当負担がかかります。私もそれで膝を痛めました。そういう織物です。ほかには、緯糸の打ち込みが微妙に難しいわけです。真ん丸に織りますと、織り上がってから少し縮みますので、菊の御紋がへたって見えます。幅は決まっていますのでいいんですが、織ってて行くと、緯糸を入れて行く打ち込みの感覚が非常に微妙です。
真ん中の菊芯から半分を織って行きますと、これが2ミリ伸び縮みがありますと、普通、遠くから貝ていると分からないんですが、我々が見ると、不良品という感じで、「帛」も大変ですが、こちらの方がもっと大変ではないかと思います。普段は、我々は帯とか能の衣裳を主にやっておりますので、こういう織物はめったにやることはないと思います。こういう特殊なもの、「羅」もそうですが、神経を極度に集中しないとやって行けない織物です。技術的にどうのこうの言われると、口ではなかなか難しいんです。やっている人は分かるんですが、技術は体で覚えて行かないと駄目ではないかと思います。こういう特殊な仕事が出来たことは、大変、光栄に思っておりますが、こういうものをやって呉れる人が続いて出て呉れるか、これは大変だと思います。特に、伊勢神宮の20年に一度のご奉仕を私はさせて頂いていますので、そういうことが次回もやって行けるのか、それと原材料の確保、技術者の確保、いろいろな面でこれからは益々難しくなって来ると思います。
業界で、最近はNPO法人というかたちで、いろいろ技術者が集まって、やりかけたりもしていますが、どこまでそういうものにかかわって行けるか、先程の養蚕もそうですが、我々も年齢的に若い人が育たない産業ですので、憂慮しております。
こんなところで、あまりお役に立たないかも知れませんが、旗は会場をゆっくり一巡して頂いたら結構かと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

座長ありがとうございました。
それでは、次に志村明様をご紹介させて頂きます。
志村様は、長野県飯島町勝山織物株式会社絹織製作所研究所にお勤めでいらっしゃいます。よろしくお願いします。志村様は沖縄県石垣島の亜熱帯養蚕施設で長きにわたり、多種多様の桑品種、蚕品種を用いた絹製品開発に力を注ぎ、前任の愛媛県野村町のシルク博物館では、製糸、製織分野の講師を務めるかたわら、石垣島で培って来た素材づくり、染織過程をはじめとする絹の生産システムの研究開発に取り組み、現在は、在来新種の桑を増殖することから研究を始め「養蚕を基本とする絹の生産システムづくり」にたゆまぬ努力をなさっておられます。この度は、「養蚕を基本とする絹の生産システム」と、その長年の成果についてお話をして頂きます。

◆勝山織物株式会社絹織製作所研究所 志村明氏講演
こんにちは、志村と申します。これから「養蚕を基本とする絹の生産システム」と題したお話を致します。時間が短いので、先に内容を要約しますと、自ら蚕を飼うと言うことをいかに必然化して、継続可能な状況を作り出すかということについて述べさせて頂きたいと考えております。
先ずご紹介したいのは、中国南宋時代1200年代に制作された「蚕織図」(絵巻物)です。この絵巻物の寸法は、長さ516cm、幅27.5cmで、絹地に描かれた現存最古の絵画資料です。現在、黒竜江省博物館に所蔵されております。歴史的な技術を検討する時、また絹の全工程を把握する時の大変良い手本としております。全4場面で構成されており、その内の15場面には、蚕を飼い、繭を作る工程を詳しく描いております。ここでは、桑の摘み取りから、稚蚕飼育、壮蚕飼育、繭の塩蔵、繰糸、製織など、主な工程をご紹介しています。
次に、ご紹介しますのは、織り上げた布を、最後に検査している場面で、当時の帛の規格資料によりますと、長さ42尺、幅2尺5分、重さ12両とありますが、宋代に基準尺と言うのがあり、1尺31.85cm、一両が37.301gです。メートル法に換算致しますと、長さ約13.4m、幅64cm、重さ448gとなります。この基準に、かなり軽い絹布を制作されていたであろうと思われます。



 私の絹の生産拠点は長野県飯島町ですが、その全景をご紹介します。正面に中央アルプスがそびえ、天竜川が流れていて、その天竜川に向かって真ん中、天竜川に流れ込む2本の支流が合流するあたりが飯島町です。さて、絹づくりの全工程を、同一地域で行う場合、先ず、自然条件が大切であると考えます。長野県全体がそうですが、私が生産拠点としている飯島も、一年を通じて、乾燥傾向にあります。しかし、水が豊富で、農業用水が網の目のように流れ、その川筋に沿って風がよく通ります。この自然環境の中で、稲作が盛んですが、絹織物づくりに適した環境の中で、私は桑畑作業に始まり、養蚕、製糸、織物づくりに励んでいます。

次に、絹布製作についてですが、ここでは桑苗生産と蚕種製造にっいて触れてみます。絹づくりの工程は、大変長く、複雑であることは、皆様よくご存じの通りですが、私が最終的な目標としている点は、着姿の美しさを実現させることで、そこにポイントを置いています。絹づくりの全工程のとらえ方、表現の仕方には、いろいろあると思いますが、私は、繭から糸を繰
り取る工程を、全工程の中心に位置付けています。
要は、絹製品の「質感」をいかに目的とするものに近づけるかです。また、目的とする絹製品をつくるのに適っているのか否かを判断する観点からも、撤密な検討を事前にすることが大切です。たとえば、生糸を繰る段階においても、繰糸方法ばかりにとらわれず、蚕を自らが飼うことから始めなければなりません。そういうことが、ポイントになると考えております。

 次に、先の絹製品づくりの複雑な全工程を単純化して、ポイントだけを表してみますと、絹づくりの工程は、大方の皆さんがご存じのように、絹素材・染色技術・製織技術の三工程に分類されます。更に、この各工程は、手作業により在来技術と、機械装置を中心に使う現代技術に分けることが出来ますが、それだけではなく、たとえば、織り上げた絹布を仕上げたり、着用後の経時変化を調査して行くのもポイントになります。

次に、絹繊維の「質感」の問題ですが、絹製品はご存じのように経時変化します。何が経時変化の要因であるかは、既に様々な角度から研究が進み、私もその研究結果に注目して作業していますが、これは避けては通れない大きな閥題ですので、私の口からお話することは致しません。只、絹の場合は、蚕品種も、繭の保存法も、繰糸の方法もすべてが複合的に「質感」を左右していると思っているのです。

次に、糸繰りの在来技術と現代の技術の違いです。糸繰り技術には、それぞれ歴史があります。従って、たとえば、手作業を中心とした在来技術にはじめて挑戦し、絹繊維製品をつくろうとする場合には、その在来技術が歴史的にどういう位置付けがされているかを、私は事前に詳しく調べ、私なりに検討を加え、少なくとも、歴史的根拠などを、或る程度は認識した上で、作業に取りかかります。歴史的技術を解明しようとする場合でも、文字で克明にしるされた資料がすべてあるとは限りません。私が調べた範囲でも、製糸関係の資料は、江戸時代後期のものしかないありません。歴史的な背景をすべて遡ることは困難でした。しかし、絹染織品の多くが、各地にある博物館や美術館に多く収蔵されています。博物館や美術館は、長い歴史的資料を蓄積した経験と理論の宝庫なのです。これらを綿密に調査、観察し、明らかになった情報を文字に表わすことで、当たり前のことかも知れませんが、技術の歴史を遡ることが出来るわけです。ここで、私が行なった絹染織品の調査、観察について、少し触れて置きたいと思います。

以前から、さまぎまな角度から、私は調査しているのですが、かっては、画像を記録処理出来できなかったのです。持ち運び出来る軽量な機材がなく、双眼の実体顕微鏡にしても、カメラをいちいち取り付けて写真を撮ったりしました。また、低倍率のものしか得られませんでした。
そこで私は、数年前から、高倍率の画像記録処理が割と簡単に出来る双眼の実体顕微鏡を独自に開発して、それ以降、この方法を用いて成果を上げて来ました。そこで、私が3年前に行った京都国立博物館所蔵の資料をご紹介しますと、実は、この調査を実施するに当たって、大日本蚕糸会の蚕糸絹文化活性化推進事業の助成を受けたから出来たのです。デジタルカメラを用いて記録しました。

この全体の写真をマイクロスコープを用いて、倍率を変えたりしてみますと、さまざまなことが明らかになるのです。低倍率の写真は、織り組織や、色の構成を観察するのに適しています。図録や報告書の拡大画像も、ほとんどこの低倍率です。私は、自分で絹糸を繰り取ることを目的として、あらゆる角度から技術解明をしたいと考えていますので、経・緯糸の構造などがどうなっているのかも高倍率画像でみていますが、高倍率画像ですと、糸の形状から繰糸方法まで、さまぎまな角度で、検討出来るのではないかと考えています。

次に、「熨斗目」と呼ばれる織物の経糸の並び方を観察してみました。「熨斗目」は、精練した糸を用いていますが、経緯糸とも無撚りの糸使いで構成されています。1000点程の資料を画像記録したのですが、いろいろな組み合わせパターンがあることが分かりました。経糸の並び方を中心に分類しただけでも、3パターンあることが分かりました。これらの画像から、繰糸法に関する情報を読み取ってみると、糸の形状が「平味」であるということが分かります。引き揃えられているものもありますが、1本に見えるので、糸形状は平味であると私は考えております。

「黄八丈」と呼ばれる織物についてまとめた「縞本永観帳」のことをお話しますと、この「縞本永観帳」は東京駒場にある民芸館に収蔵されています。それによると、経・緯糸ともに、甘撚りの精練された糸で構成されていることが分かります。先程の生経糸の形状とは異なることも分かりました。糸の使い方を大きく変えて、絹織物の質感に変化を与えています。
私の今やっているこの調査で、実験的に復元するという意味合いで実施したのが、同一蚕品種、繭保存法は塩漬け、生糸繊度は27dで、手回し座繰り器を用いて平味の形状をつくった糸と、自動繰糸機でつくった糸です。

これも異なって見え、在来技術でつくった糸と現在の技術でつくった糸は違ってみえます。奈良県にある財団法人元興寺文化財研究所で作成された断面写真をみますと、この糸を用いて、経糸1本、緯糸2本の引き揃えとし、撚糸、精練をせず、同一密度で製織した後、仕上げの砧打ちを行なったもの、繰糸方法だけを変えて、他は同一条件でつくり上げたものも、意外に、異なったものに仕上がっていることが分かります。

ここで考えなければならないことは、どちらが正しいか、という判断をするのではなく、それぞれの性質を知り、目的とする絹布にあった組み合わせをするための研究資料にすることです。そして、どのような方法を用いて、経験を深めれば、技術の歴史的由来を知ることが出来るようになるかも知るべきだと思います。この辺りを十分に検討しておかないと、自ら桑を植え、蚕を飼い、糸をつくる必要性が見えて来ないと思うのです。
蚕の飼育方法の決定は、糸や織物の目的に適合した方法を的確に探し出し、その点を十分に把握した上でしなければならず、それが、現在、最も必要なことであると思います。機械繰糸するのか、手回し座繰り器を用いて糸を繰るのか、或いは機械繰糸糸と座繰り繰糸糸の両方を組み合わせて、絹製品をつくるのか、さまざまな組み合わせ法を念頭に置いて、繭をつくり、そして、繭から糸を繰り取ることなどすれば、絹づくりをすべてシステム化出来ると思います。
中途半端になりましたが、絡わります。ありがとうございました。(狛手)
座長 ありがとうございました。
司会
ありがとうございました。只今から10分間、休憩させて頂きます。
2時45分から後半の講演を始めます。
(休 憩)


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第7回東京シルク展シンポジウム(3)
司会
多摩シルクライフ21研究会会員 岡本昇子
只今より、「蚕糸・絹文化シンポジウム」"今だからこそ伝えよう蚕糸絹の文化を”を開催致します。
 先ず、主催者多摩シルクライフ21研究を代表し、小此木より、開会のことばをお願いいたします。(拍 手)
◆開会のことば
多摩シルクライフ21研究会代表 小此木エツ子
多摩シルクライフ21研究会の小此木でこざいます。多摩シルクライフ21研究会のことにつきましては、概要をお手元の資料に書かせて頂きましたが、お蔭をもちまして、当研究会は、今年で14周年を迎えることが出来ました。皆様の暖かい熱いご支援、ご協力に支えられて、今まで、つつがなく、活発な活動を続けさせて頂きましたが、感謝の気持ちでいっぱいでございます。本当にありがとうございました。また、本日は当成城ホールに、多方面から沢山のお客様にお出かけを頂き、本当にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

 さて、私ども多摩シルクライフ21研究会は、風土に根ざした蚕糸・絹業と言うことで活動を続けておりますが、その成果を2年に1回、「東京の繭から生まれた東京シルク」と言うキャッチフレーズをもって、「東京シルク展」という名の展示会を開催して参りました。
今年の東京シルク展は第7回目に当たりますが、この度の東京シルク展の特別企画として、"今だからこそ伝えよう蚕糸・絹の文化を"をテーマとする「蚕糸・絹文化シンポジウム」を財団法人大日本蚕糸会との共催で開かせて頂くことになりました。もうすでに東京シルク展会場の千歳屋さんで、見学をなさっていらっしゃった方も多々おありかと存じますが、東哀シルク展はいかがでしたでしょうか。いろいろ展示致しましたが、私の右にありますのは、東京シルクで製作したウェディングドレス布地です。[注上の写真をご参照下さい]

 「日本の文化の危機」と言われて、久しい昨今ですが、日本の文化の危機ではなく、私は蚕糸・絹業が、歴史上、かってない転換期に差し掛かっていると思うのでございます。そこで蚕糸・絹文化を継承する上で、何がどう変わりつつあるのか、また、どう変わって行かなければならないのか、皆様と共々に考えるために、本日、『シンポジウム”今だからこそ伝えよう蚕糸・絹の文化を”』を
開催し、伝統を背負い、未来を目指して、着実に一歩一歩と歩んでいらっしゃる7名の講師の先生方をお招きして、お話を伺うことにしました。
途中10分間休憩をはさんで、講師の先生方に、お一人約15分、お話しをして頂く予定でございます。それが終わりましたら、3時半頃より、総合討論に入らせて頂きます。
その時はご来場の皆々様から貴重なご意見やご質問を沢山承りたいと思っておりますので、どう
ぞ宜しくお願い致します。私と致しましては、このシンポジウムを、「蚕糸・絹文化」を皆々様と共々に考える集いとし、意義あるひとときをお過ごし頂ければと願っております。何とぞ宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

司会
次に、財団法人大日本蚕糸会常務理事 草野洋一様にご挨拶をお願い致します。
先生、宜しくお願い致します。(拍手)

財団法人大日本蚕糸会 草野洋一様ご挨拶
 只今、ご紹介を頂きました大日本蚕糸会の草野でございます。本日は、シンポジウムにご参加頂きまして、ありがとうございます。多摩シルクライフ21研究会と大日本蚕糸会の共催のシンポジウムということですが、私たち財団がこのシンポジウムの企画等に直接寄与する機会は少のうございまして、ほとんどを多摩シルクライフ21研究会が進めて来ました。小此木先生から、挨拶ぐらいはしなさいと言うことでしたので、この度ご挨拶をすることになりました。
 シンポジウム開催の趣旨については、只今そのほとんどを小此木先生がお話しされました。先生からは、せっかくの機会だから20分ぐらい、最近の蚕糸・絹業の状況と、今、小此木先生が触れましたが、大日本蚕糸会が去年の2月からいろいろ取り組んでいる、或いは、これから取り組もうとしている内容について、少しお話をしたいと思います。
 そのために今日、皆さまに資料をお渡ししておりますが、その前に大日本蚕糸会をご存じでない方もいらっしゃると思いますので、大日本蚕糸会について少しご案内致します。
 大日本蚕糸会はずいぶん古く、1892年に、法人として出来ました。主にこれまでは、蚕の種、蚕品種の開発とか、繭や生糸の研究をすることが一つの大きな業務でした。蚕品種の関係は、つくばの阿見町に蚕業技術研究所と言う研究所を持っておりまして、品種の関係で皆さまとお付き合いがあるところもあると思います。
 それから、新宿区の百人町にある蚕糸科学研究所で、繭とか生糸の関係、それから撚糸なり織
物や精練の研究をしております。そういう研究をするのが大きな仕事の一つです。

このほか、表彰や研究助成等の業務を行なって来ましたが、蚕糸業がだんだん縮小しまして、いろいろと対応する行政、その他の組織が小さくなって来ましたので、大日本蚕糸会がいろいろこのほかの業務をお引き受けするようになりました。
 これまでは、業界へ直接支援する仕事はあまり多くなかったのですが、数年前からそういうことにも積極的に取り組んで行こうということで、このようなシンポジウムの支援、あるいは製糸業、養蚕、染織の関係についても、いろいろ支援をするような事業を進めております。
これからお話しします事業につきましても、昨年2月から大々的に取り組むことに致しまして、大日本蚕糸会の中に、蚕糸・絹業提携システムの支援センターをつくりまして活動しています。
 
 宣伝はそのくらいに致しまして、折角の機会ですので、小此木先生が20分ほど話せと言うことでしたが、お話だけではお分かりにくいと思いまして、お手許の資料を準備しました。
            <研究会[注]報告書末尾にその資料を添付してございます>
これだけの内容ですので、あまり詳しくお話しできませんが、見られていろいろありましたら、後日でもご連絡を頂ければ、ご質問にも答えたいと思っております。
 最初のページの「養蚕業の現状」のところにありますが、現在、日本の繭の生産量は380トンぐらいです。次のページに、ピーク時と言うのがありますが、昭和5年には40万トン、戦後の一番多いところで、lO万トンありましたから、今では本当にわずかになったということです。
 
 特に問題なのは、真ん中に農家の年齢別比率がありますが、養蚕にたずさわる人の半分近くが
70歳代です。繭を生産している一番大きな県が群馬県で、5割近く生産していると思いますが、2〜3年前で、70歳になったと聞いています。今、新規養蚕農家はほとんどありませんので、毎年確実に1歳くらいずつ年齢が増えて行きますから、平均年齢が71〜72歳ぐらいになっていると思います。
 これは養蚕だけのことではなく、たしか稲作農家が65歳ぐらいです。蚕糸業は常に日本農業全体の5年先を行っていると言われています。高齢化もそうですが、いろいろな制度をつくるのも、制度がなくなるのも、いろいろな意味で、日本の農業の5年先を行っていると言われていますが、高年齢化も同じように、5歳くらい先を進んでいるということです。また、これからお話しします、いわゆる純国産のものづくりの取組も、恐らくこれから、他の農業もそういう取組がきっと行われるだろうと思います。
 
 1ページの一番右側に手書きで書いておきました。口で言うとなかなか分かりづらいと思いますので、手書きしたのですが、去年の3月までは、繭代の9割ぐらいは国が補助していました。保証基準価格となる繭1キロ当たり1518円のうち、1418円を補助していました。これは輸入の生糸とか、国庫が財源になっていました。それに品質の加算がありますので、国産の繭のここ数年間の平均価格は、1キロ1800円ぐらいです。
 この繭を1キロ生産するために、1時間半から2時間近くかかっています。これで割算しますと、所得率を60%くらいとすると、時間あたり700円ぐらいの所得です。これは家族全員で働いてです。しかも、この数字は、大体1トンぐらいつくる農家の水準です。
 繭を1トンつくるというのは相当大きな農家です。この農家が1トンつくるには、年5回ぐらい蚕を飼うことになります。ですから、3月から10月終わりぐらいまで、桑取り、養蚕、上簇、収繭と、毎日、大変な仕事をします。それは一人ではなくて、家族全員になります。
 家族全員で働いて、ここにありますように、1キロ1800円という繭の価格は、労働時間で割ると、家族全員で700円ぐらいです。東京の高校生のアルバイトは今800円ぐらい貰っていますから、家族全員で働いて、それより低い額になります。
 そんなこともあって、農家は、養蚕をどんどんやめて行きます。高絞生のアルバイトー人よりも安いわけですから、農家も後継者に養蚕をやれという話は出来ません。このようなこともあって、養蚕はどんどんなくなって行きました。
 その辺の推移が2ページ目にありますので、あとで見ておいて頂ければと思います。この20年で、50分の1ぐらいになっているということです。これは今言ったようなことからですが、原料がなくなりますから、製糸会社も数社しか残っておりませんし、蚕糸業全体が縮小しまっています。
 この背景はどういうことかと言うと、3ページ目をご覧下さい。もともとはカラーの資料ですが、カラーコピーは高いものですから白黒になっています。
 昭和55年から平成19年までのそれぞれの絹の需給を生糸換算したものが入っています。昭和55年ぐらいは、国産繭のウエイトが、ここにありますように5割以上ありました。これがどんどん低くなって、平成19年は、棒グラフの上ではほとんど幅にもならない。0.8%ぐらいです。原糸レベルで4〜5%ですが、これはこういうことです。
 日本の養蚕がだんだん縮小してきた過程で、かつては、中国とかブラジルの生糸の品質がまだそんなによくありませんでしたので、経糸にはやはり日本の生糸が必要でした。主に中国から繭を輸入して、日本で生糸をつくっていましたが、もちろん中国やブラジルの技術は進歩します。
蚕の品種も、中国では新しい品種が開発されますし、中国からある程度いい生糸が入るようになりました。したがって機屋さんにとってみれば、高い国産の生糸よりも安い中国の生糸がいいわけです。
 ただ、当時はいろいろな法律による規制、一元輸入とか、いろいろな生糸の輪入規制の仕組みがありましたから、自由には輸入出来なかったのですが、輸入の生糸にどんどん置き換わって行きました。そうしますと、養蚕農家の次には、製糸業がどんどん縮小して行くことになります。
 機屋さんは安い生糸があればいいということではあったのですが、そんなことにはならないことは皆さんも、ある程度、ご存じだったと思います。中国は技術を獲得して、織物で輸出します。生糸、撚糸で輸出するよりも、織物で輸出した方が付加価値が付くのでいいわけです。そうすると、今度は白生地で入ってきますので、白生地の機屋さんは活動の幅が狭くなって、機屋さんもどんどん少なくなって行くというのがこれまでの現象です。
 機屋さんは生糸さえ手に入ればと言いましたが、今は白生地でも入るわけです。ところが、着物のメーカーは、かつては白生地が入ればいいと言っていたんですが、次は、当然ながら二次製品で入ります。ですから今度は、いわゆる着物のメーカーさんも、染め屋さんも同じような状況になります。こんなことで日本の蚕糸・絹業全体がどんどん縮小しました。
今日は「蚕糸・絹文化シンポジウム」となっていますが、今まで川上の繭、生糸をつくるところと、それを使う機屋さんとは、買う生糸の値段で対立がありますので、必ずしも友好的でない面がありました。しかし同じような状況に直面しているわけで、この際、一緒になってものづくりをして行かなければ、共に残って行けないという状況になっているわけです。
 数字的なことを言いますと、今、輪入の生糸がキロ3000円〜4000円です。いいものは4000円ぐらいします。そこで、キロ1800円もする日本の繭からひいた生糸ではという話になりますが、分かりやすく繭代を2000円とした場合に、生糸1キロつくるのに、繭は5.5キロ必要ですから、原料代だけで1万1000円ぐらいはかかる計算になります。 生糸加工費用の方も、製糸業の方が生産性を向上させて、いろいろ頑張っても4000〜5000円はかかりますので、1キロ1万5000〜6000円の生糸になります。
 要するに4000円の外国生糸と1万5000〜6000円の国産生糸の差は大きく、輸入の生糸の品質も大変良くなっていますから、一時のように日本の生糸でなければ駄目だという時代ではなくなりましたので、同じ土俵で競争するということになりますと、当然、キロ3000円〜4000円の生糸と、1万5000〜6000円の生糸との競争ですから、同じ土俵では競争出来ませんし、3000円、4000円の生糸で、ということは、繭代にすると、キロ300円ぐらいの世界ですから、繭代の補助がなければ、日本は養蚕をやめるしかありません。
 今まで申し上げたことを体系的に整理しますと、繭代は二千数百円でないと養蚕はやって行けません。先程言った計算であったように、家族全員で時給700円ではとても生活出来ません。それで、仮りに二千数百円の繭代ということになりますと、今、申しましたように、普通の生糸で、生糸代は1万5000円とか、2万円になります。
 一方、輸入生糸の方は3000円とか、4000円です。今、中国も、江蘇省とか浙江省では賃金が上がって、4000円ではとてもやって行けない、赤字輪出という話もありますが、現実問題としては3000円、4000円で輸入されています。ですから、4倍も5倍もする国産の生糸を使って、消費者に買って頂けるようなものづくりを、蚕糸・絹業界が一緒になってやるしかありません。機屋さんもそういう面があると思います。
 これからの方向は、3ページにあります原糸、機屋さんが使う生糸で、国産は4%ぐらいですし、更に今申しましたように、生糸だけではなく、生地とか、製品のように製品輸入もありますから、繭から国産のものは1%を切って0.8%ぐらい、たったそれだけの量なんですが、消費するには簡単ではなく、繰り返しになりますが、輸入生糸の4倍も5倍もするような生糸を使っても、消費者にそのような国内事情を分かって貰い、そして、消費者に買って頂けるようなものづくりをするところが一緒になって、すなわち、蚕種をつくる方にはじまり、養蚕をする方、繭を糸にする方、織物にする方、染色をする方、それに、流通関孫、小売り、卸などにたずさわる方、皆んながそういう考えのともで取り組まなければ、国産のものはなくなって行くことになります。
 このままでは日本の養蚕は確実にあと5、6年、あるいは10年ぐらいでなくなるということです。今養蚕農家の方は70何歳ですから、80歳を過ぎて、養蚕をやるのでは農家は大変です。ですから、何とかしなければいけないということで、国がいろいろ考えて、そこで出来たのが、皆さん、テレビなどで、高島屋の「誰が袖好み」とか、京都の千總の取組とか、いろいろ見られたと思いますが、一万数千円の生糸を使って、織って、染めて、消費者にこういう製品につくり上げたんだと、すなわち、どういう品種で、どこでつくった繭で、どこで生糸をつくって、どういう織り方、染め方をした製品であるということを、消費者によく理解して貰えるような情報を提供して、そういう消費者とつくり手とが互いに理解し合うこと、つくり手と言っても、まさに農業から、いわゆる機屋さんの工業から、小売りの商業まで含めた人たちが、それぞれ連携し合って、消費者にそのような日本の製品づくりを理解して貰うというやり方です。
 そういうことで、これからは、一万数千円の生糸を使っても、消費者が買って下さるようなものづくりをして行こうではないか、と言うことになりました。
そのような試みが次の4ページです。ちょっと分かりづらい図ですが、あと5分ぐらいしか持ち時間がないので走ります。実は、うるう年の去年の2月29日に大日本蚕糸会の中に蚕糸・絹業提携支援センターが出来まして、国から基金が来ました。去年、今年、来年と、平成で言えば、平成20年、21年、22年の3年間で、そういうグループをつくって行こう、今申しましたような一万数千円の生糸を使ったやゝ高額なものでも、消費者から純国産の絹製品に対するご理解を頂いて、買って貰えるようなものづくりをするグループをつくって行こうということです。
それには、今までずっと言って来ましたように、価格では競争出来ませんので、養蚕農家から、製糸、染織、問屋、出来れば小売業の皆さんにまで加わって頂いて、同じコンセプトでものづくりをして行く、その中で、それぞれが再生産出来るような配分をして行く仕組みをつくって行こうではないか、ということです。
 養蚕農家には、先程言いました二千数百円の繭代、そうしますと、この生糸は、加工賃を入れると、一万数千円、蚕品種選びや製糸等、仕方によっては2万円に、ものによっては2万円以上になると思いますが、そういう生糸を使って、今度は織って行く、染めて行く、そして適正なマージンを取って、流通させる。当然リスクがありますので、特に、川下である流通業界ではそういうリスクも背負って品物を売って行かなければなりませんので、それぞれが、皆やって行けるような仕組みをっくろうということが、この提携システム事業なのです。
 そのグループを、去年、今年、そして来年と、平成22年度まで行う。そのためには、そういう活動をして頂ける方に、コーディネーターになって頂いて、いろいろと支援する。そのようなグループをつくって行くのが、資料4ページ左側に示したこの3年間の事業です。
そのグループが、長期間、十分安定してやって行けるだろうということになれば、平成23年度からですが、第三者の委員会が、そういうグループを承認して、それからの3年間、一定の交付金をそのグループに交付します。
 その交付金は、繭代に使ったり、商品開発、あるいは販売促進、幅広く使ってもいいということになっていますが、3年間交付金を受ける間に、3年後には交付金がなくても、今申しましたような2万円近い生糸を使う、すなわち、養蚕農家に二千数百円の繭代が払えるようなものづくりをするグループとして飛び立って頂く、それが今度の事業の趣旨なのです。現在、大日本蚕糸会では、今申しました前半の3年間の活動を一生懸命やっております。そういうグループづくりを、今、一生懸命支援しているところです。
 早く準備が出来たところ、既にそう言う活動をしているところがあり、九つ程、そう言うグループが平成21年度を待たず、既にスタートしております。これはまたあとで述べます。
農家への繭代の助成については、制度としては平成19年度すなわち去年の3月でなくなりました。しかし、昨年度、今年度、来年度は経過措置として、この事業の中で、今まで通り、農家には、繭代の助成が出ております。ただし、これは来年度までです。したがって、養蚕農家の皆さんが、このグループの中に入り、このグループの一員として、繭づくりをして行かなければならなくなります。先程言いましたように、9割、すなわち1800円のうちの1600円が補助金だったわけですから、200円ぐらいでは、とても養蚕はやって行けません。ということで、これからも頑張ってやって行く養蚕農家の方たちが乗る船、すなわちグループづくりを、今、大日本蚕糸会は一生懸命しているところです。
私たちとしては、養蚕を続けたい農家が全部船に乗れようにと、咋今、経済情勢が大変厳しい中ですが、今、一生懸命グループをしているところです。
また、資料の9ページに載せましたが、日本絹業協会に「純国産絹マーク」なるマークをつくって貰いました。 蚕の品種から、どこで繭が取れて、どこで織ったなどという、純国産品であることを示す履歴が全部明らかにされた絹製品に限り、純国産品であることを示すマーク、すなわち「純国産絹マーク」を添付して頂くことで、消費者を含めた皆さんにきちんとした情報を提供し、その上で、そういうものづくり、絹づくりを理解して頂いて、買って頂く仕組みを進めているところです。
4ページ、5ページは、そのようなことを説明している資料です。6ページが今申しました「純国産絹マーク」です。経費節減のため、白黒印刷になってしまいましたが、上の黒い部分は、実際は赤色です。また資料はあとでゆっくりご覧頂きたいと思いますが、既に80社ぐらいが、「純国産絹マーク」を取得して、出来上がった製品に付けて販売活動を行なっています。
 それから7ページは、こういう活動に対して、これまで、一般紙にはほとんど取り上げて貰ったことはないのですが、去年8月13日付の朝日新聞の社説です。天下の朝日新聞の社説に載るような事態になっています。国産絹がなくなってしまう事態がいよいよ迫っていることを知って、「頑張れ」と言って呉れた記事です。この社説は、要するに、自分たちがやれるような仕組みづくりを、みんなして頑張って行くしかないのではないか、というような内容ですが、この他、読売新聞その他にも、最近いろいろなところに関係記事が載っていました。つい一咋日も、NHKのBSハイビジョンで、福島県伊達地方で行なっている繭から真綿づくりをしている放映が30分程ありましたが、そう言った記事や報道がだんだん多くなって来たように感じます。
 持ち時間が過ぎましたが、ここに来られた皆様方が、いろいろお使いになっている特殊な品種の生産状況がどうなっているか、という資料を一番最後に入れて置きました。こんなことで、今申しまたような取組を大日本蚕糸会はしております。蚕糸・絹業の現状や、今後はどうなって行くか、今、私たちは何をやればいいのか、ということをお話し申し上げました。
 限られた短い時間なので、全てをご理解頂くのはなかなか難しいと思いますが、大日本蚕糸会のホームページ、それから、提携支援センターのホームページにも詳しく載せております。Q&Aで詳しくいろいろなことも書いてありますし、電話やメールで閤い合わせて頂けば、いつでも、いろいろなお話が出来ます。JR有楽町駅日比谷口より、皇居方向に歩いて2、3分のところに、大日本蚕糸会のある蚕糸会館ビルがありますので、来て頂ければ、コーヒーぐらいは出します。インスタントではなくて、きちんとしたコーヒーです。お茶がいい方にはお茶もお入れしますので、遠慮なく来て頂いて、皆さん方のいろいろなご相議にのりたいと思っています。
挨拶ということでしたが、仕事のPRに終始してしまって恐縮です。今日お集まりの皆様は、このような活動に、大変なご興味をお持ち方で、熱意のあるお方と思っておりますので、是非とも、ご理解を宜しくお願い致します。ちょっと時間をオーバーしてしまいました。(拍手)

司会
草野先生、ご挨拶、ありがとうございました。
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第7回東京シルク展シンポジウム(2)
シンポジウム プログラム
13:00 開会のことば 多摩シルクライフ
21研究会代表 小此木エツ子

13:10 ご挨拶 財団法人大日本
蚕糸会常務理事 草野洋一 氏

講演開始

13:35 小谷田昌弘 氏 東京都八王子市 養蚕農家 「蚕を飼う」

13:50 宮坂 照彦 氏 長野県岡谷市 ?宮坂製糸所社長 「糸を繰る技」

14:05 山口  豊 氏 京都市西陣 染織家 「帛・両面錦を織る」

14:20 志村  明 氏 長野県飯島町 勝山織物?
絹織製作研究所 「養蚕を基本とする
絹の生産システム」

14:35〜14:45 休  憩

14:45 秋山 真和 氏 宮崎県綾町 ?あきやま綾の手紬
染織工房 社長 「藍・貝紫を染める」

15:00 内海 康治 氏 東京都世田谷区 (有)千歳屋 社長 「絹製品の新しい流通」

15:15 中谷 比佐子氏 東京都新宿区 ?秋桜舎 社長 「きものという農業」

15:30 講演終了

15:35 シンポジウム総合討論開始

17:15 シンポジウム総合討論終了

17:20 閉会

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